※ネタバレにも触れています。
※設定を想像で補完しているところがあります。
※主人公の性格設定は見た目は子ども、中身はジジイです。
物語の大筋

かの子羊は大いなる力を授かり
囚われの待ち受けし者を開放するだろう
予言の不成立を望む
「旧き信仰の司教」と名乗る者たちから
斬首される子羊
死後の世界で出会ったのは
司教と対立する存在
「待ち受けし者」だった
永遠の生と引き換えに
封印されし自らを解き放つよう
待ち受けし者は要求する
そのためには彼を縛り付ける鎖の持ち主
「混沌」のレーシィ
「飢饉」のヘケト
「疫病」のカラマール
「戦争」のシャムラ
すなわち旧き信仰の司教を
排除しなければならない
彼らの教団を壊滅させる過程で明かされていく
さまざまな事実、因果、そして本音
目的を達成したあと子羊がたどる運命は
殉教か
それとも・・・
教団の運営~司教の仕事はウンチ掃除

さて、予言による魔女狩りの犠牲となりながらも、「待ち受けし者」と名乗る存在との取引により、哀れな子羊こと我は生還した。
それが果たして幸運なのか、それとも新たな試練の始まりなのかは定かでない。だが今はまず、救い手である彼を信奉する教団を立ち上げ、急ぎ軌道に乗せなければならない。
信者たちが生み出す信仰は、神の力の源泉である。
教団によって育まれた信仰心は待ち受けし者に注ぎ込まれ、彼の精気を満たすと同時に、御神体である「赤き王冠」を託された我自身の力となる。
成すべきことを成すためには、安定したエネルギー供給を確保することが不可欠だ。
そしてこの神代の世界において、時に対価として求められる信者たちを自由に使える体制を整えておくこともまた、重要なのである。

教団を維持するために我が行わねばならない仕事は大きく2つある。
①信者が快適に過ごせるよう食事を用意し、環境を清潔に保つ
②聖戦に赴き物資を獲得するとともに、信者を増やす
聖戦とは、仇敵である旧き信仰の司教たちが支配する地へと侵入し、そこに灯る信仰の火を消し去る戦である。
聖戦と言うと神聖な使命のように聞こえるが、実際には出稼ぎ遠征の色合いが濃い。本来の使命の副産物とはいえ、実り乏しい荒れ地での暮らしは、戦利品なくしては立ち行かぬのが現実だ。
もう一つ、聖戦の重要な目的として神を持たぬ者への布教がある。
司教らが統べる地であっても、彼らの思想に染まりきっていない者は少なからず存在する。そうした者を見極め、わが教団の教義を示して懐柔し、入信へと導くことで勢力の拡大をはかっていくのだ。

わが教団が信奉する待ち受けし者は「死」を司る存在だ。ゆえに、教義の中には死を賛美する内容や反社会的・反道徳的、さらには残酷と見なされる教えも少なからず含まれている。
その過激さから、いわゆる「カルト」として蔑視されることもあるが、教団の運営は極めて真面目に行なっており、世間がイメージするような退廃の美に日夜溺れているなどということはない。
朝は日の出とともに起床し、夜は遅くとも10時に就寝。近隣への配慮を欠かさず、ご近所の困りごとには可能な限り手を差し伸べ、友好関係の構築にも努めている。
風紀を乱すことなく秩序を守り、互いの意思疎通を大切にしながら健全な集団生活を営んでいるのは、意外と思われるかもしれない。
だが、そもそも闇深い教義と生活実態を無理に結びつけて、不健康さを演出する必要がどこにあるだろうか。我々はスタイルで宗教を信じているのではない。信仰とは見せかけではなく内面の在り方にこそ宿るもの、そうではないか?

わが教団が信者を増やす方法は、先に述べたとおり司教自らが聖戦の地に赴き、そこで布教を行うことが基本である。
世の中には、会報誌を携えて担当区域を一軒一軒訪ね歩きながら布教を行う団体もあると聞く。しかし、信仰が苦しみを和らげるものであるならば、それを必要としている地に直接赴くことこそ、より効率的であると言えるだろう。
わが教団が辛い過去を背負った信者を多く抱えている理由も、まさにそこにある。苦しみに囚われている者のもとへ赴き信仰の言葉を届ける――その姿勢こそが彼らの心を打ち、帰依の念に繋がっていくのだと我は思っている。
まれではあるが、他の教団からの宗旨替えで入信する者もいる。
過酷な日々を送っていたのか、入信から数日は、わが教団のあまりの平和ぶりに戸惑う姿を目にすることが多い。
それでも日を重ねるうちに少しずつ教団の空気に馴染み、やがて穏やかな笑顔を見せてくれるようになる 。留守にすることの多い我に代わり、従順な信者たちが寄り添いながら心をほどき、正しい方向へと導いてくれているのだろう。

ただ、従順すぎるがゆえに指示がなくては何も始められない者が多くいるのも事実である。信徒の増加に比例して、わが仕事も楽になるかと思いきや、今のところブラック企業に就職したほうがマシ、と思えるほど働き詰めの日々が続いている。
教団内の整地、野良仕事、食事の支度――仕事の内容は多岐にわたっているが、もっとも頭を悩ませているのがウンチの処理だ。
生きとし生けるもの、食べれば食べた分だけ排出するのが世の理とはいえ、少し目を離すと、わが聖地はたちまちウンチの園と化す。
「食べるな」の教義に「出すな」も加えてほしかった、と言いたいところだが、さすがの待ち受けし者もそんな教義を実装すればフン詰まりによる内乱が勃発することくらいは理解していたらしい。
「ウンチはお持ち帰りください」といって持ち帰ったところで処分する場所がないとき、ウンチはどうなるか。正解は、野生化する。つまり野グソだ。野グソが増えるとどうなるか、環境が不潔になる。環境が不潔になるとどうなるか、病気になる。病気になるとどうなるか、腹を下して野グソが増える。
そのことを理解していながら、信者たちは片付けない。
そして自分を養うため決死の出稼ぎをして帰ってきた我に、追い打ちをかけるがごとく要求するのだ。
ワークライフバランス!
前任者であるネズムという老鼠の導きに従い、レーシィが支配する「夜闇の森」へと通うようになった我の1日は、出稼ぎから始まるようになった。
朝、信者たちの食事の用意をし、祝福を終えてから森へ向かう。その状況についてはのちほど綴るのでここでは割愛するが、ありがたくも行くたびに大歓迎を受けるので、帰還するころにはヘトヘトだ。

そんな状態で教団へ戻ってきたとて、体を休める暇はない。
腹をすかしている信者たちの食事の支度、畑の収穫、次の作付け、水やり、説教、壊れている寝床の修復などなどなど、長くこの地を離れていたツケが容赦なく押し寄せ、積み上がったタスクを前に途方に暮れることもしばしばある。
一連のルーティンの合間をぬい信者たちを祝福するため広場の祭壇へ向かっていると、ヴァレファールが「子羊様ー!」と叫びながら、焦りを滲ませた表情で駆け寄ってきた。
この者はかつて、レーシィの側近として仕えていた者である。
使命を挫かれ、絶望の淵に沈んでいたところを見捨てることもできず連れ帰ってきたのだが、切り替えの早い性分らしく、翌日にはあっけらかんとわが教義を受け入れた。今では同じく宗旨替えしたアムドゥシアス、バルバトスと共に教団の中心となって活躍してくれている。
教団の運営については他の信者にアドバイスをするほど慣れているヴァレファールの焦りように、心中穏やかではいられない。
まさか、我が留守にしている間にスパイが紛れ込んでいたか?
「子羊様! 教団の周囲が汚すぎます! このまま掃除をしなければ、誰かが病気になってしまいますよ!」

汚すぎる、だと? 先ほど掃除したばかりだが・・・。言われて周囲を見渡してみると、確かに岩陰や草葉の間など、目の届きにくい場所に排せつ物が点々と残されていた。
もっと見えるところにしてくれればいいものを、妙な恥じらいがあるのも困りものだ。
汚れは見えなければ済むというものではない。そのあたりは、折を見て説教せねばなるまい。
「確かに掃除が必要なようだな。しかしヴァレファールよ、勝手な行動は規律違反であると日ごろから言い聞かせているとはいえ、気づいているのであれば少しくらい手を貸してくれてもよいのだぞ」
「お言葉ですが、掃除道具を持っているのは子羊様だけです。まさか私に、手で野グソを拾えとおっしゃるのですか?」
「いや、そうとは言っていないが・・・」
「ホウキに変化するその王冠を私に貸していただけるのであれば、もちろんいたします。でも子羊様、お困りになるでしょう? それがないと何もできないんだから」

一連のやり取りが聞こえていたであろう、祈りを捧げる信者たちの声がピタリと途絶えた。
何か言い返そうにも言葉が喉の奥で渋滞し、いっこうに出てこない。
しばしの沈黙に、緊張が場をじわじわと支配していく。
正論なだけに、その威力は絶大だった。
そばにいた信者には、ぐぎぎ、と我の奥歯が悲鳴をあげる音が聞こえていたかもしれない。
そうかそうか、そんなに名前を『おにあくまひとでなし』に改名してほしいのか、とか、権力を行使して恥ずかしい写真をバラまいてやってもいいんだぞ、とか言って恐れを知らぬ小僧を少しはビビらせてやりたいが、話を聞いている場所が我に不利すぎた。成り行きを見守る周りの信者たちが、我の大人げなさを発揮させない障壁と化している。
だがそもそも、雑務に追われ体力が底を尽きている今、口達者な若者と消耗戦をする気力など、とうに失われていた。
ふう、と息をひとつ吐き気持ちを整え、無理やり微笑みを作り、ねぎらいの言葉をかける。
「そのとおりであるな、進言に感謝する」
自身の正しさを確信し、まっすぐ我を見つめるヴァレファールの瞳には、ウンチを踏みつけたときのように情けない顔をした子羊が映っていた。
再び始まった祈りの言葉に背を向け、ウンチの片付けへと向かう。
よくもまあ、あちこちに出したものだ。
気分は晴れないままだったが、無心で腕を動かし続けると、先ほどのモヤモヤまで掃き清められたような気がした。
掃除が終わり、ホウキに姿を変えていた王冠が変化をやめ、定位置である頭上へと飛んでいく。
ツン、と鼻を刺す刺激臭に、思わず顔をしかめた。
消臭機能はうまく働いていないらしい。のちのち返却する際、どう誤魔化そうか――悩みの種は尽きることがない。
