それはさておき

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子宮筋腫 手術体験記4~術後と入院費用

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術後から退院まで

手術当日:術後

ばたばたと部屋まで運ばれたことはうっすらと記憶しているが、そこからまた意識は途切れ、次に目が覚めたのは日没後。部屋に人が入ってきた気配と共に意識が浮上し、部屋の暗さから夜になっていることに気づく。腹部には耐えがたい激痛。痛み止めをもらいたくて看護師を呼び止めようとするも「うー」とか「あー」しか声が出せず、身体は動かない。おそらく鎮静薬の影響によるうわごとと思われたのだろう、看護師は何かをチェックしてさっさと部屋を出て行ってしまった。何とか枕元に手を伸ばすもナースコールが見当たらない。続く痛みに耐えられず、また意識を失う。
 
次に人の気配を感じたときは、先ほどより意識をはっきり保てた。そばに来た手をがっしり掴み「いいい痛み止め」と告げ、ナースコールを枕元に置いてもらうよう頼む。「ごめんなさい、置いてなかったね」、あのですね世の中には謝って済むことと済まないことがあってだな、もちろんそんな小言を言う気力もなく、だまって痛み止めがくるのを待った。
 
1回目は腕注射、2回目からは尻注射で打っては気絶の繰り返し。もう腹の痛みで尻が嫌だとか言っていられない状態になっており、看護師が来る前から尻を出して待っていた。
 

術後1日目

正直に言います。術後をなめていましたすみません。
 
痛み止めが効いているうちはいいのだが、当然きれてくるとじわじわ鈍痛が蘇ってくる。意識がある間は「時間よ早く過ぎてくれ」としか考えられず、野生動物さながら寝れば治ると信じてひたすらに目を閉じていた。看護師さんからは「痛いって全然言わないから逆に心配」と言われたが、正確には声を発することすらできないほど弱っていただけの話である。
 
痛み止めは計5回打った。本当はもっと打ってもらいたかったが、いよいよ尻注射に嫌気がさしたのと他の人がどのくらい貰っているのかわからないこともあり、何となく遠慮してしまった。
 
午後には尿カテーテルを抜かれ、自力でトイレに行くよう促された。鬼あくま人でなしと言いたいところであったが、早く抜いたほうが治りが早いとのことで今の主流なのだそうだ。体を起こすのにはすごく時間がかかった。一心同体となっている命の点滴を引き連れヨボヨボしながらトイレに向かい、座るときも、立ち上がるときもあの世を見た。あらためて全ての動作に腹筋が使われていることを実感する。幸い出血はなかった。
 
そのあとは清拭。だがトイレですべての気力を使い果たした後にあってはぬぐいも適当、見かねてか看護師さんも手伝ってくれた。弱っている体にも容赦のない、とても力強いタオル運びだった。フロなんて1日くらい休みでも構わないのに、日本人は潔癖すぎすると思う。
 
夜中、突如吐き気がこみ上げてきてナースコールを押す。戻すことはしなかったが、えずくたび腹が痛んで仕方がない。吐き気についてなぜ起こるのか伺ったところ、手術の際移動した内臓が元の位置に戻ろうとすることに付随する症状らしい。しばらくしたら収まったが、吐き気のことは何も聞いていなかったのですごく不安になった。ちなみに、これとは違う件で救急車に乗った際、吐き気止めの点滴があることを初めて知った。こんな神アイテムがあるのなら出し惜しみせず処方してもらいたかった、というのは今更の恨み言。
 

術後2日目

記憶が飛んでいる。ご飯がお粥で元気がでない、というしょぼくれた思い出しかない。

痛みについては1日目よりかなり楽になっていたと思う。人間の回復力は意外とすごい。
 

術後3日目

寝返りを打つときや起き上がるときは顔が歪んでしまうものの、痛みはすっかり落ち着き、平静にしている状態であれば問題なく過ごせるようになった。
 
血液検査の数値が悪かったようで、抗生物質の点滴は延長となった。だが血管の細さが災いし、夜には針を挿せる場所がなくなる事態となってしまった。最初の一人目は1回の失敗で挫折した。2人目は2、3回チャレンジするもうまくいかず、ベテランを呼ぶと言って下がっていった。最終兵器であるベテランは「ここ挿してみていいですか?」と聞いてはくるものの、こちらがハイともイイエとも言う前にノータイムでブスブスと針を挿していった。手の甲数カ所に穴をあけたあと「だめだ、薬が入っていかない」と彼女はつぶやき、先生に相談してくると言って下がっていった。結果、最後の点滴は免除となった。手首には一人目の失敗が目に見える形で残ってしまった。

 

術後4日目以降

徐々に痛みも和らぎ、入院生活が快適になっていく。3食食べて寝ているだけなのに看護師さんは優しくしてくれるし、毎日が最高すぎて退院したくない。
 
完全に痛みがなくなったのは退院前日であった。医者の目測の的確さに驚いた。そして10日の入院が終わり、自宅で2週間療養したのち社会復帰となった。
 

入院費用について

「高額療養費支給申請書」を入院時に提出していたので、限度額が適用された金額での清算となった。負担額の区分については以下参照。
www.kyoukaikenpo.or.jp
支払った総額は132,460円
内訳
①保険負担額 57,600円
②食事(保険適用) 10,580円
③保険外負担 64,280円(内40,000円は個室代)

①私は区分エ。薄給でつれえ。
②については「食事療養標準負担額(一般)」という項目があり、メニューの一部がそれにあたっていたと推測する。まあ出産された方々と同じ豪華な食事をしていたし、その分部屋代を安くしているのカナーと割り切って特に気にしていない。
③の24,280円は検査料のほかマスクやカニューレ、傷テープ、カミソリの替刃といった備品の実費合計。
 

まとめ

いろいろとおどすようなことばかりになってしまったが、つらい記憶が刷り込まれたのはやはりナースコールが手元になかったことが要因だと思う。痛み止めはきちんと効くので、私のようなことにならないためにも遠慮せず処方してもらおう。
 
・開腹手術の場合、入院は10日間。
・高額療養費支給申請書は発行まで2週間ほどかかる。早めに会社から手続きしてもらおう。
・部屋は気軽に用が足せる個室がおすすめ。トイレまでの距離は重要。
・術後3日目くらいまでは痛みとの戦い。
・ぜんそく持ちは座薬が使えない。その場合の鎮痛は尻注射。
・付き添いの人は帰る前、手が届く位置にナースコールが置いてあるか必ず確認してあげて。
・吐き気は我慢しなくていい。すぐ吐き気止めをもらおう。
・退院時には必ず「夜間・休日緊急連絡先」を聞いておくこと。
・筋腫がなくなればお腹が引っ込むと思った人、残念だったなそれは残像だ。
 
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